東京都内の名門として知られる病院ふたつで
乳がんと告知された8年前。
「それでも 三大療法を全てやらないでおこう・・・」
そう決めるまでに人生で一番悩んだといっていい くらい毎日考えを巡らしました。
じっと悩んでも仕方ないので、とりあえず調べ倒しました。
主に、海外で過激な治療なしでガンを克服(あるいは共存)した人々のこと。
当時はまだ日本では、ゲルソン療法や食事療法の情報が今のようになかったのですが
海外のコミュニティではどのように克服したかの詳細な情報が溢れるように交換されていました。
ここで英語力が一気に上がるというオマケがついたほど
真剣、血眼になって食い入るように情報をむさぼりました。
普段はズボラ満載のわたしの長所はあえていうなら根気のよさ。
地の果てまで調べ尽くすぞ、で生活はそれ一色になりました。
私は もともと薬はできるだけ取らない方がいい、という考え方。
病気とは全く無縁だったので
いきなりの乳がん告知を受け入れられず、
ましてや過酷な治療のイメージを払拭できずに
なんとか三大療法を受けずに済ませないものか・・
と逃げに走った、というのが正直なところです。
母が乳がん手術で背中まで一面が紫色になるのを若い頃みたり、
自分の父が前立腺癌になったり、
大親友が抗がん剤に苦しみ 急に亡くなったり。
こういうことも私の決断と大きく関係していたと思います。
しかしです。
「よし 3大療法はやらない、今の不摂生の全てを立て直し体の異常をなくしてやるぞ!」
と強く思っても、次の日にはまた自信がなくなって恐怖に襲われ調べたおす、、
この永遠ループ。
家族や友達に反対されると思って誰にも言ってない上、
海外のあったこともない人の治療戦略を山ほど知った、というだけ。
この人らのいうことは、ホントにホントなのか?
頭の中が生活すべてが 常にそのこと一色。おまえは本当にそれでいいのか?
そんな時です。ふいに決断しました。
「近藤先生に会ってみよう。」
当時は、ガンと食事の関係を説いたり、
この近藤誠 先生くらいが 声を高らかに
「がんもどき」説をバンバン発信しておられました。ガンに一見みえてガンとは言い難い「がんもどき」。
それらをガンと診断して必要以上の過剰治療を今の日本医療ではやりすぎだ
という先生の著書を多数よんでいました。会って相談してみたい、
と思う人は日本では この先生くらいしかいない・・。
私は当時、東京女子医大でガンの告知を受けてからの
聖路加病院でセカンドオピニオンの患者でした。
なので聖路加の担当女医に
めちゃめちゃ言いにくい。。
でも思い切るしかない。
「本当にすみません。。
心配してくださっているのは有り難く受け止めています。
ですが紹介状を書いて頂きたいと思いまして・・・」
(まさかの突然のサードオピニオン!)
常に穏やかなトーンで説明をしてくれるいつも笑顔の先生だったので
面と向かって とても言いずらかったのを覚えています。
「慶応の近藤先生というのですが・・」
するとあんな優しい感じだった先生が
たった一言 低いトーンで言いました。
「デタよ・・」
